こんにちは。最近時の流れの速さに色々考えているザビカエルです。みなさんは戻りたい時代はありますか?私は歳を取るごとに増えていく人生の裁量と可処分所得、世界の技術発展に希望を見ていた学生時代だったので戻りたいと思うことはあまりなかったのですが、最近は大学1年など、可処分時間が多くて大事な人達が生きていた時代に帰りたいなとほんのり考えるようになりました。時間は有限ですね。
ちなみにオタク的には昔のコミケとか秋葉原に行ってみたいです。時代の熱はその時代に界隈にいないと感じずらい部分がありますから、当時燃えていた人達に憧れがあります。
何が言いたいか? 16bit センセーションを見てください。話はそれからです。
それでは2023年を振り返っていきます。
去年は月ごとに振り返っていましたが、今年就職したこともあって話せないことも多く、トピックごとにいきたいと思います。
査読付き国際会議(ICICT2023)に採択
修士2年の1月に初めて国際会議に論文がAcceptされました。LLMの波に押され、しかしながらデータ量が正義というのが気に食わず、マイナー分野を掘っていた感じだったので無事形になって安心しました。権威がある会議ではないのですが、MLEで就職しない私にとっては悔いなく終われてよかったなという感じです。
https://www.computer.org/csdl/proceedings-article/icict/2023/009500a188/1Q25fwjzaTK
物心ついてから初めてのアメリカ
「国際会議に採択された」
「国際会議に採択されるとどうなる?」
「知らんのか? 大学(研究室)のお金で海外に行ける」
ということでアメリカに行きました。ひと昔前だとコロナでオンラインだったのですが、当時は落ち着いてきたのでハイブリッド開催であり、かつ3月の最終週だったので学生として行けるというありがたい状態でした。海外に行くのは幼少期以来なので、心躍ったことをよく覚えています。
ちなみに私は英語が得意ではありません。英語で書いた原稿はDeepLやGrammaly、研究室で頼んでいただいた添削サービスの力を借りてどうにかしたような状態で、話すことにいたっては日常会話もままならない。そんな中、ノースカロライナ州都のローリーという所まで一人で行かなくてはならなくなりました。なお直通便はないので乗り継ぎしなくてはなりません。さあ大変です。
あまりの心細さに推しのシールを張るオタク
機内wifiを契約したのにやりたいソシャゲがメンテで外を眺めるカエル
荷物の預けなおしを頑張ったり、空港から乗ったタクシーにぼったくられながらもどうにか着いたホテルの売店で買った何か。もう一度買いたいとは思わない。
会議のチェックイン日にも関わらず、運営が誰もいなかった二日目の帰り道に見つけたラーメン屋の豚骨ラーメン。カタカナでトンボとあったので期待したのにアメリカナイズされていて舌に合わなかった悲しい一杯。20ドルだったのに……
アメリカの食生活に絶望していた私に差し込んだ一筋の光。それはホテルの朝食のバイキング。日本のビジネスホテルよりも種類が多く、かつ日本で出ていてもおかしくないような味付けに涙しながら食べていた。
帰りの便の時間が朝早かったこともあって空港の近くに宿を取り、宿から会場の大学へは徒歩とバスで1時間ほど。しかも毎回人通りの少ない田舎道を身の危険を感じながら歩く必要がある不便なホテルでしたが、この食事一つで許せるぐらいには心の支えになっていました。具体的には購買で買った何かの容器に詰めてお昼にするくらい。
会場の大学。ローカルな大学という感じでのどかでした。そこら辺にリスが駆けていたり、見たことのない鳥が闊歩していたりする。
なんかやたら綺麗なビルがあると思ったら見たことあるロゴが。なんとRedHatの本社。
会議当日、運営が用意してくれた軽食の一つにあったマウンテンデュー。これがあった時の安心感は形容し難い。ちなみに現地参加者が10人ほどで、3時間おきに軽食やおやつが運ばれてくる素敵な会だった。面倒見が良さそうなおばあちゃん教授がChairだったので英語ができないなりに快適に過ごさせてもらう。そういえば日本の大学に所属する留学生も来ていて仲良くなったり(会議が会議だけに発表のクオリティは微妙だったが、その方の発表はレベルが高くて勉強になった記憶がある)、アメリカの教授・生徒コンビと日本の教授の卓に入れてもらってアメリカの大学の裏事情等を教えてもらうなどもした。
会議が終わって一安心して撮った一枚。Chairにお礼を言いに行ったらPh.Dやるなら受け入れるよと言ってもらえ(お世辞かもしれないが)、研究生活が報われた気がして帰り道に少し泣いた。
4日目、お土産を買うために行った郊外のスーパー群(トレーダー・ジョーズとか)併設のカフェで買ったシェイク。借りれるトイレが一向に見つからず、やっと見つけたカフェで何も買わずに出るのは申し訳ないから頼んだ一杯。Satoが通じずSaboになっている。
写真はないがスーパーの店員さんにお土産にするつもりのチョコレートの在庫(30個ほど欲しかった)を聞いたらめちゃくちゃ丁寧に対応してくれて感動した。そして、その時初めて本場のオーマイガーを聞く。
帰国日の空港にて。きちんと早起きし、ソウルフードとなったホテルの朝食を食べ、ホテルの従業員の方に送ってもらった後の一枚。ホテルの記載では30分ごとに空港間のシャトルバスが運行しているとなっていたが、当然のように誰もおらず、従業員の方に聞いたらめちゃくちゃ面倒くさそうに用意してくれた。が、当時のカエルは1km20ドルというぼったくりタクシーをくらった後だったので安全に送ってくれればどうでも良いというメンタルであった。流石に申し訳ないのでチップを弾んだら色のいい別れの挨拶をくれて E.T.の気分を味わうなどする。
多分羽田空港。道を歩いたら甘い匂いの煙(多分薬物)を吸っている人達がたむろし、誘拐アラートが毎日鳴り響く環境だったので安心感がすごい。
以上、旅の記録でした。年度末という予算的に面倒で航空券が高い時期にも関わらず研究費で行かせてくれた研究室に感謝です。大切な思い出となりました。
日比谷音楽祭2023に参加
日比谷音楽祭は6月に開催された”音楽の新しい循環をみんなでつくる、フリーでボーダーレスな音楽祭”がコンセプトの無料の音楽フェスです。詳しくは以下。
”縁がなさそうなもの”アンケートを友人にしたら5番目くらいに音楽フェスが出てきそうな私ですが、就職先が日比谷音楽祭の協力協賛として公式アプリの開発をしており、募集に申し込んで内定者インターンとして参加させていただいたのでした。
開発面で言うとほとんど役に立てなかったなーというのが正直なところです。WEB系に関して軽く触っていたものの趣味に毛が生えた程度でしかなく、当時DDDや依存性注入といった概念も聞いたことがある程度だったため、技術的な話もわからなければドメインもわからんという状態で大分迷惑をかけたと思います。それでもチームメンバーの方々にアーキテクチャのあれこれを教わったり、幅広く(薄く広くで良くはなかったですが)触られてもらえたことでかなり理解が進み、非常に良い経験となりました。何よりモダンな環境かつ練度の高い方々の中で働けたことで見識が広がり、技術的な価値観が更新されたのが大きいです。最近も驕りそうになる自分を感じると、この時の記憶を思い出します。
さて、日比谷音楽祭本番の方ですが、こちらは土曜日の Hibiya Dream Session 1 に当選し、参加することができました。元々東京事変のファンなのと、Tani Yuuki さんなど知っている方々が参加して楽しみにしていましたし、音楽祭に現地参加するのが初めてだったで、身近まで届く音圧や出演者の方々の熱量を堪能しました。その中でも(ちょっと記憶が定かではないのですが)加藤登紀子さんが「音楽は消えない。歌い継がれていく」という趣旨の話をされたのが忘れられません。
近年の私は「人生のゴーイングコンサーン」を考えています。これは下記のブログから借りているもので、最近の悩みであり、創作のテーマでもあります。まだ読んだことがない方はぜひご一読を。
https://grand-bishop.hatenadiary.org/entry/20150402/1427945550
私は10年ほど絵界隈を見てきましたが、好きだった何人かのイラストレーターさんは故人となりました。それでも彼・彼女らの残した作風を受け継いだであろう方々の作品に触れ、ふと感じる彼らの「ゴーイングコンサーン」に美しさと憧れを感じるのです。酷く未熟で、何も残せていない私ですが、死ぬまでに彼らのようになりたいと、そう願ってやみません。
就職
人生の大きなイベントとしては就職があります。そう、なんともう学生ではないのです。しかし、フルリモートかつ実家暮らしは継続していることもあり、生活リズムに大きな変化はありません。加えて少なくないお給料と勤務時間という概念により可処分所得・時間が大幅に増え、自宅環境を整えたこともあり、研究生活と比べて余裕がある生活をしています。
4月から7月の頭までは研修をしていました。学部時代にやったものの忘れていたことを思い出したり、チームでTwitterクローンを作ったりして有意義に過ごした覚えがあります。一番大きいのはプロダクト開発演習でしょうか。詳しくは下記の社ブログを頼りますが、要は社内で使われることを目的にしたプロダクトを作る研修です。
https://engineering.dena.com/blog/2023/09/scrum-of-new-graduate-training/
私はこの研修でずっとやりたかったインフラの主管をすることができました。ずっと触ってみたい気持ちがあったのですが、実プロダクトレベルを個人でやるには学生では費用が大きいし、未経験なため仕事で触れる機会はなかったという中で、上記の研修は費用は会社が払ってくれ、メンバーにインフラに強いモチベーションを持っている方もいなかったために実現したのでした。とはいえそこまで凝ったことはしていないのですが、自分たちで構成の意思決定をしたり、訳のわからない中でネットワークの設定をしてみたり、IaC化を頑張るというのは学びが大きいもので、技術的な幅がかなり広がったように感じます。また、社内で使われないと継続運用されないということもあって、ビジネス的な要件が必要だったのも学びが多かったです。私は当初そちらにも興味はあったのですが、他に明確なプロダクトアイデアを持ったメンバーがいたことや、技術的に余裕があったわけではないので身を引いてしまった部分があり、後悔と学びがありました。次の機会がいつになるかわかりませんが、自分の能力向上やキャパシティを広げることでより良く貢献していきたいです
余談ですが、この時にビジネス職のメンバーと一緒にプロダクトを作った経験が後述する業務に良い影響を与えているように思います。それまで経験したプロジェクトではビジネスサイドとの期待値の乖離や見積もりの齟齬で苦しんだことが少なくなく、どこか身構えてしまう部分があったのですが、研修という費用対効果等のビジネス的外圧がほとんどない環境だったことと、メンバーの人間性によって”見え方が違うだけなんだな”という感覚を得ることができ、より伝えることを試みるようになりました(できているとは言っていない)。
総じて良い経験でした。
さて、7月から配属となったわけですが、現在はアナリティクスエンジニアをしています。こう言って業務内容を理解できる人はほとんどいないと思うので軽く説明をすると、要はデータエンジニアの方が引っこ抜いてきてくれたデータをこねこねし、いい感じにダッシュボード等の利活用ができる状態にするお仕事です。
技術的には全く触れたことがない分野なので学ぶ領域が広かったのと、ビジネス側の要件を聞いてダッシュボードに落とし込む部分が共同研究時代と似た部分があり、過去の経験を活かしつつ、どうにか日々を送っています。人にも恵まれ、プライベート方向の話が通じる方々や、そうでなくても寛容な方々によって生きやすく、仕事的にもやりやすい環境を敷いてくださっているので感謝です。
元々の入社モチベーションである”エンタメ方向の事業に関わりたい”というのは直接的に果たせているわけではないですが、間接部門として関わっていたり、関わる領域のあれこれもあって充実しています。何より学生時代はデータがないことにひたすら苦しんだ日々であったので、”データに支配されるのではなく、こちらが支配するのだ”という気持ちもあり、やっていきというところです。
今後はインフラ等のデータエンジニア的な仕事をする機会も得られそうなので、ここら辺の分野を一通り習得し、リードできるようになるまでは目の前のことに集中しようかなという感があります。
レイキャビク NIP戦フラクチャーのtennn、LCQ RRQ戦アセントのDep、そういったものに、私はなりたい。
大腸ポリープの切除
前述の通り、定期収入を得た私は食べ歩きました。カフェでサンドイッチを食べた後にラーメン、カレー屋の後にうどん。10代を思い出させるようなハードスケジュールをこなした私の胃腸は疲れ果て、人生で初めての便秘に。そして、診てもらった病院で大腸カメラを言い渡されたのでした。
その結果見つかったのが多発線種というもので、現状は癌ではないが、放っておくと癌になるというやばめなものでした。幸いにも小さかったため、その場で取り除いてもらえたので心配はないのですが、もし大腸カメラを断っていたらと思うとぞっとします。体質的、遺伝的にもリスクが高く、定期的な大腸カメラが必要といわれてしまったので2年後にまた泣きながら下剤を飲みます。皆さんもご自愛ください。
Google Cloud Next Tokyo’23 に参加
11月にビックサイトで行われたGoogle Cloud Next Tokyo’23に参加しました。 これを書く際に知ったのですが、東京開催は4年ぶりだったのですね。私は学生時代に国内学会へ現地参加したことがなかったため、リアルのテックイベントは初めてでした。主にデータエンジニアリング周りのセッションを見たり、企業ブースを回ったりしたのですが、どこもエンジニアリング頑張っているんだなぁという感を得られて刺激になりました。具体的に書けませんが、業務に生かせそうな内容もいくつかあり、得るものは多かったです。
猫との死別
これは他で書きましたが、やはり触れないわけにはいきません。去年のクリスマス、23年一緒に生きた猫と死別しました。習慣とはすごいもので、今でもリビングに上がると猫を探している自分がいます。文字にしたり、思い出をまとめても寂しさは拭いきれないですね。近々骨壺を埋葬しにいくので、そこで一段落がつくのか、自分にもわかりません。
ただ、日常生活に支障がない程度に落ち着いてきたので、粛々と人生をやっていこうと思います。また、この世界には遺毛でアクセサリーを作ってくれる方がおり、そちらを頼んでいるので到着を心待ちにするなどしています。
雑多
- ・ ぼざろの聖地巡礼で江の島に行きました。色んな作品で登場するだけあって、雰囲気の良い観光地という感じでしたね。私は湖の畔に住んでいたことはあれ、海の近くに住んだことはないので、その物珍しさから波の満ち引きの音が好きだったりします。画像は江の島の上の方にあるカフェのアップルパイ(江の島感......うごごご)
- ・ 久々に夏コミに参加しました。チケット制になってから初めてで、午後チケットで参加したのですが、特に大きな混乱もなく快適に回れたので体験が良かったです。冬は出す予定だったのですが、仕事や猫のあれこれで断念しました。テーマとしていたものを猫との死別で信じられなくなったり、社会的なあれこれで難しくなりつつもあるので何らか模索していきたいです。
2024年について
なんと3ヵ月で新卒ではなくなるそうです。月日の流れの速さが信じられません。
2024年ですが、まず一人暮らしをします。これは長らく望みつつも、猫がいるという一点で踏みとどまっていましたが、前述のとおりのため、可及的速やかに行います。すでに場所と物件の目途はつけており、可能であれば一月中に決めきって落ち着きたいものです。
……と書いている間に物件は決まりました。正月三が日に要件定義やエリア・物件の目途、仲介業者の選定を行い、業者が仕事初めを迎える4日から内見というスケジュールを引いたのですが、5日の午前中には申し込みを終えることができてしまいました。最初に目をつけ、内見した物件が2件目の内見中に埋まるという繁忙期のスピード感の中でしたが、初日に埋まっていて断念した第一希望群の一つが運よくリリースされたのを確保するという僥倖。良い不動産営業に出会えたのと、2日連続で現地にお邪魔したのが効きました。物件探しRTAがあるならそこそこの順位なのではないでしょうか。新居の場所を知りえる方で、新居周辺で物件を探している方がいたら付いてくださった営業の方を紹介するので連絡ください。
あとは遠出する旅行をしたいですね。こちらも面倒を見る子がいなくなってしまい、家を空けられるようになったため。装備はあるので、キャンプ等も気が向いたらやりたい。
創作方面では何らか一つ完成させること。イラスト一枚ならクオリティ気にしなければなんとかなるのですが、ストーリーとなると難しい。新生活で上手いこと習慣付けていきたい。
仕事に関しては目の前のことをどうにかして生き残ることが第一ですね。どちらにせよ細かいことを考えていられるほど器用ではないのでした。ただGCPの資格は挑戦してみたいです。認定者ラウンジで一服したい。
それでは、何かと物騒な今日この頃ですので、お気を付けてお過ごしください。
P.S. ペルソナ3のリメイク楽しみすぎる......